迂回しましょう、この先は危険です


 僕は『無音』を好むんだ。
そう告げた時の、おデコ君の対応は酷かった。

 基本的にコロコロとした丸い瞳が一瞬だけ糸目になり、明らかに呆れた表情に変わる。手にしていたコーヒーのカップをくっと煽った。
 それは、僕がさっきおデコくんに奢った自動販売機のもの。品物を選ぶ前に、ミルクと砂糖のボタンを可能な限り増量された飲物は、かなり甘い香りを漂わせていた。
 興味を惹かれて(僕は基本的に、コーヒーはミルクだけだ)一口飲ませて貰ったけれど、コーヒーの量が変わっている訳ではないから、苦くて甘い飲物になっている。
 抵抗なくというか美味しそうに飲んでいるおデコくんは、その味のイメージかもとか思って、少し可笑しかった。
 クスクス笑っていると、ぐしゃりと紙コップを手の中で潰したから、どうやらおデコくんを不機嫌にしてしまったらしい。横にあるゴミ箱にそれ投げ捨てて、僕の方を向き直る。
 腰に手を当てて、長椅子に座っている僕の顔を覗き込むように身体を曲げてから、口を開いた。
「牙琉検事。そんな、あからさまな嘘をつかれても返答に困ります。」
 何の事だろうと首を傾げ、『無音』の話だと気が付いた。完全に嘘だと決めてかかってくるから、僕も少しだけ不機嫌になる。
「そんな事ないよ、本当の事だ。」
「信じられません。」
 きっぱりと言い切り、けれど、コーヒー御馳走様でしたと頭を下げる。いや、どういたしまして。と答えれば、会話はさっきの続きだった。
「いいですか、牙琉検事。俺がいつも割引のチケットで呼ばれるコンサートで、あれだけ喧しい音を奏でているアナタがですよ? 騒々しくて耳がキーンとなるような音楽を好むアナタがですよ? 本当は静寂が好きなんだよ、僕。とか言い出しても、真実味が全くありません。」
 触覚に指を絡める仕草は、僕の真似なのかな。
「………騒々しくて耳がキーンとなる音楽で悪かったね。」
「真実味がないって箇所に反応して下さい。」
 再び、呆れた様に溜息。
「じゃあ、理由を述べて下さい。納得のいく答えだったら、俺謝罪しますから。」
 随分な扱いだよな。そう思ったけれど、嫌なら最初から僕の話なんて聞かないだろうと思うから、ちょっと嬉しくなる。
「音楽の仕事をしている時以外に、自分達の曲とか、聞いていると気になって仕方ないんだ。あ、ここはテンポがずれてるとか、アレンジを変えれば良かったとか…そんなことばかり考えがいってしまうから。」
 だからと言って、好きなアーティストのものだって、この場合は駄目。
「どうしてかって言うと、やっぱりこのコードは良いだとか、この楽章は僕だったら、こうしたい…なんて考えてたりしてしまうんだ。
 勿論そこが楽しい時もあるけど、検事としての仕事をしている時や、くつろぎたいと思ってる場面では、明らかに駄目だ、邪魔だよ。」
 だから、僕は基本的に無音が好きなんだ。そう言ってやると、へえと頷いた。
「何となく納得しました。でも、それなら牙琉検事はきっと『耳』が良いんですね。
 俺は其処まで音に敏感になれないし、聞き分ける以前の問題として、耳障りがいいか悪いかの、どっちかにしか分類されませんから。」
「…それもどうかな。」
「人生生きていくのに支障はありませんけど。」
 えっへんと胸を張るおデコくんに、それを仕事にしてるんだけどねぇと告げるとああ、確かにと頷いて、そのまま腕組をして考え込む。

 考え込む…? 何を?
 
「俺は牙琉検事の声は好きですよ。歌ってる曲とかは正直苦手な分野ですけど、検事の声は、流石ミリオンヒットのボーカリストって感じで耳障りが良いです。」
「…。」
 褒められてるんだろうか?これ。…思わず首を傾げてしまう。
焦れた表情で、おデコくんが僕を見つめている。何でおデコくんは、耳の先まで赤くなってるんだろう。
「あの、聞こえましたか? 牙琉検事。」
「耳障りがいいんだろ、聞こえてるよ。」
 途端、ああもう本当にとか言いながら、ぐしゃぐしゃと頭を掻き乱す。そうして、おデコくんは僕の腕を取ると休憩所から歩き出した。俯き加減で、ずんずんと玄関口に向かって一直線だ。
 普段、僕が懐くと恥ずかしいから抱き付かないで下さいよ。とか言うくせに、自分から手を伸ばしてくる時は全く気にしないんだよな。
 何処へいくの?とか質問しても「二人だけで話しが出来る場所です」とか言って、握った手首を放してくれない。
 仕方ないから、掴まれてない手を曲げて時間だけは確認する。時計の針はランチの時間を大きく回っていて、このまま街で食事をとるのもいいかなぁなんて、僕は呑気に思う。確かお互い夕方まで空き時間があったはず。おデコくん、何が食べたいんだろう。
 そんな事を考えてると、店頭からおデコ君曰く[騒々しくて耳がキーンとなるような音楽]が大音量で流れて来た。後頭部からもわかる、おデコくんの角がビクリと反応して、僕は吹き出しそうになって慌てて口元を抑える。
 これ以上、おデコくんを怒らせるのは得策じゃあないよな。

「…聞いてないじゃないか、牙琉のヤツ。渾身の一撃だったのに。普通だったら、声が好きって部分に反応するもんだろ!?。」

 …ぼそぼそとおデコくんの呟きが耳に聞こえて来て、鼓膜に届いた瞬間、それは僕の耳を熱くした。やばい、顔が真っ赤になってくる。僕は慌てておデコくんの手を振り払った。
 あれ?みたいな表情で、おデコくんが振り返る。
「あ、あの、なんでもないよ!」
 かなり大きな声を出したつもりだったけど、僕の声は全くおデコくんには聞き取れないみたいで、不審な顔で頭を捻る。何か、話し掛けようとして、おデコくんは片方の手で耳を塞いだ。そのまま、店頭のスピーカーを睨む。

「…もう、煩いな。響也さんの声だけ聞きたいんだ。」

 こんな大音量の中、どうしておデコくんの声が聞き取れるのかなとか、思う。
 確かにおデコくんのひとり言が大きいってのもあるし、僕の耳が良いのかもしれない。でも彼の声だから聞こえていて欲しいと願う僕は、やっぱりおデコくんの事が好きなんだよな。だから、さっさとスピーカーの前を通り抜けて、近寄って来たおデコくんの耳元に唇を寄せる。
「僕もおデコくんの声好きだよ。」
 君の声だけ聞けるといいね。そう付け加えると、おデコくんは茹で蛸みたいに真っ赤になった後、挑むように微笑んだ。
「じゃあ、そうしてあげましょうか?」
 彼の目を見て、僕は拙い言葉を告げてしまったのだと気が付いたけれど、まぁ要するに、後の祭りってヤツ。

…やっぱり、おデコくんは苦くて甘い。

〜fin



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